自分の影の投影
悪口をどう捉えるか
永らく付き合っていたような人と、もっと深く付き合うようになった時に、その人が、人やモノゴトに対して否定をたくさんしているので、「あら、この方(以下Aさん)不満をたくさん抱えている方なのだ」と自分がいかに表面だけしか知らなかったかを感じました。
それで、コンコンとAさんの話を聞いていると、やれあの人はああだとか、あのことが私にこう影響したとか、堰を切ったように話しておられました。私は友人にも家族にもカウンセリングは基本的に行いませんが、Aさんはどうもカウンセリング的なことを望んでいるようだったので、途中から、カウンセリングするかと許可をとって、そういう私で聞いておりました。
以前のブログで、『愚痴とユーモア』の話をしましたが、愚痴と悪口は何が違うのかと言いますと、愚痴は「私はあの時ほんと辛くてさ」など、自分主体で、自分の気持ちに焦点が当たっているもので、悪口は「あの人って〇〇で〜なのよ」と、その矛先は他人に対して向いており、否定や攻撃性が伴っていることが多いのが特徴かと考えております。とまあ、Aさんの場合は、どちらかと言うと悪口でした。
私たちには、自分の中のコンプレックスだったり、抑圧しているものだったりが存在するのですが、それを『影』なんて言い方をします。そしてその影は、他の人に投影されることがとても多い。ですので、悪口の場合、「あの人のこういうとこが嫌い」「こういうところが馬鹿だと思う」なんて言っておられる内容が、自分の影を話していることが多い。
愚痴は一つ『明日へのユーモアへ』なんて話をいたしましたが、では悪口はどう考えていくかと言いますと、「自分はどんな影を持っているか」ということを知っていくことにするのです。そして「そういう影をもった自分がどのように生きなければならないか」ということを探究していくのです。
良いとか悪いとかではなく、自分を知っていくことに使ってゆく。自分のあたま(思考)はこう捉えているけれど、こころはこう感じているのだと、そういう風に捉えていく。あたまとこころはバラバラになればなるほど、不調に繋がっていきます。からだは疲れ、精神的にもバランスがとりにくくなっていくのです。ですので、あたまとこころはチグハグになりすぎないようにするのが大事だと考えます。
生きる上で大事なのは、たくさんの資格や技術や高い地位を持っていることでもなく、自分を知っていることかと思います。人と関わることで、自分を知っていくのですね。AIにはできないことですね。ふふふ。