鬱の青年が突然居候にきた話

 

私はね、高校二年生の時に、横浜から長野に引っ越したのです。

高校生の私と横浜の高校のお友達(ガラケーの限界)

 

理由は、父が無職状態なので心機一転しようぜ!となって、父と母が「自然豊かなところに住みたい」と長野を選んだからです。

安曇野を選んだ理由は住んでいた地域の最寄駅「あざみ野」に似ているから。

 

理解できないことが多いかと思いますので上記は忘れて本題に移ります。

 

ある日の晩にやってきた鬱の男性

 

母が神戸の実家に所用で行っていて、家に帰ってくるのを待っていた深夜。

車で帰ってくると言うから、ちょっと心配して、起きて待っていたんですが、帰ってくるなり母の後ろに虚な目をした男性がいたので心底驚いたのをよく覚えています。

 

一応5等身くらい離れた全く血のつながっていない親戚らしいんですけど、一度も会ったことありませんし、99%他人です。
その彼と同居が始まりました。

 

結果的にとても仲良く過ごしていたので言えますが、この時はまだ精神薬を使っている状態だったようで、顔は真っ白、表情は動かず、目は虚、目も合わない状態でした。
名前は仮称で六助にでもしておきますが、この六助くんの部屋は私の隣の物置と化している部屋(襖で仕切られている)になりました。

 

私「誰?」

 

六助くんの状態

 

変な居候がやってきましたが、実は母が居候として家に人を連れてきて泊まらせるのは六助くんに限っていないので、笹森家はすぐに通常運営。

その日の晩から一緒にご飯を食べる日が始まりました。

 

で、ポツポツお話をするようになると、全容がわかってきました。

 

・関関同立の中の1大学に行っていた(話ことが全て賢かった)
精神的ショックなことが起きて、家から出られなくなる
・精神科に行って薬を飲み始めて、そこから六年家に篭もりきり
家であまり手料理を食べたことがない(惣菜の多いお家だったそう)
昼夜逆転生活(夜はPCをしていたそう)

 

六助くん自体も、何が何やらわからず遥かかなた長野の地に連れてこられたので、自分の状況がわかっていなかったんですけど、話して、時間が経つうちに、「なにやら自分はこの家にいなきゃいけないらしい」と理解していったようでした。

なので、突然連れてこられたので、薬を数日分しか持っていなかったんですよね。
今思うと、不安だったんじゃないかな。

 

私はというと、なんか一緒に住み始めることになって、その時の食事はほぼ私が作っていたので「一人増えたら量増えんな…我が家の家計大丈夫かな…」くらいに思っていました。

我ながら一緒に住むことの順応が早いですね。

 

六助くんの不思議な行動

 

とにかく「鬱病」で薬を6年間毎日欠かさず飲まれてきていますから、どんな人だろうと思っていたわけです。
でも昔から、気になったことはとことん聞きたいタイプなので、六助くんが話しかけてくれると、私もおずおずと「鬱のお薬ってどんなの?」と、「鬱」の話を聞いていました。

 

とても印象的だったのでよく覚えています。
関関同立に行けるほどの頭脳をお持ちなので、とても記憶力もいいんですよね。

 

彼曰く
「精神の薬は何種類もあるけど、大きく幾つかに分けられるんだよね。僕はほぼ全種類飲んだことあるよ。(真偽は不明)

 

・気持ちの上も下も無理やりぶった斬って、ずっと中間体に気持ちを持っていかせるもの。落ち込んだり死にたいとかの鬱状態にならないけど、喜びも楽しみもない。自分は第三者としてずっと自分を見ている感じ。実感がなくなる。

・無理やりハイになるやつ。切れたら、ガクンと落ちる。だからずっと飲み続けないと不安になる。

・抗不安薬も一緒。飲まないと不安になる。

 

あと、飲んだら背骨と後頭部がめっちゃ痛くなる。

 

結局気持ちをぶった斬るだけのものって感じだから、飲んでも良くならないんだよね。
でもやめられないの。飲んだ時の高揚感とか安心感が強いから。

 

 

なんかちょっと変な人だったので、「何錠まで飲めるんだろう、飲んだらどうなるんだろう、と何十粒も飲んだことがあるんだ、ははは」と笑っていました。

あの顔は忘れられません。
(ちなみにその後意識を失って気づいたら病院だったそうです。)

 

あと、「これやると自律神経に刺激がはいるんだ。体にスイッチが入らない時に良い」と言って突然ブリッジし始めるので最初は驚きました。

今思うと、あながち間違っていない行動。背骨だからね。
途中からはブリッジしている彼を見て「自律神経の刺激?」と慣れて私も聞いていました。

 

そんで「薬は何粒でも一気に水無しで飲めるんだ」と言って薬を水なしで飲み込むこところを見せてくれたこともあります。

私「すっげえ」

 

奇跡の回復をする六助くん

 

結果的に、六助くんは3ヶ月で薬を飲まなくなり、車の免許をとり、「准看護師になりたいんだ」と言って勉強を始めて、受験しにだけ関西に戻って、無事受かって、入学と共に家を去っていきました。

 

薬を飲まなくなるまでに3ヶ月、その後まだ我が家にいて(今思うとなんでだ?)合計半年くらいを共に生きました。

 

では、彼がやったことはなんだったでしょうか。
そして、母がこっそり意識していたことはなんだったのでしょうか。

 

長くなったので、NO2に続きます。
▷鬱の青年はなぜ回復したのか

 

 

※薬についての効果はあくまで個人の感想です。

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