鬱の青年がなぜ完全復帰したのか

 

一緒に暮らし始めてから、最初は夜眠れなかったとか、ぼーっとしていた日も多かった六助くんですが、もうね、本当にね、表情が変わっていったのよ。

 

 

最初の生気の抜けた顔から、よく笑うゲラの青年になっていきました。
そして准看護師学校に受験して、無事受かって、4月前に我が家を去って行きました。

 

今思うと、彼がいた期間は、ずっと寒い時期だったのね。

 

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▷鬱の青年が突然、居候にきた話

 

どんな風に生活をしたのか

 

やったことは何もありません。
ただ、とことん人として生きました。

 

これ、すごいのが、母は一応ちゃんと全部配慮していたそう。
後から聞いて、「母すっげ…」となりました。
やったことと、母の配慮をどうぞ。

 

 

・朝日と共に起きてもらう

六助くんのお部屋は朝日が燦々と入る部屋で、カーテンじゃなく障子だったので、防ぎようがなし。
自動的に朝日が入ります。

 

母「わざとやで。お日様で起きるのがええねん。だからあの部屋にしてん。雨戸ないから」

 

・毎食(昼はいないけど)一緒に食べる

笹森家は基本的に食べる時はみんな一緒。食事中はテレビも見ない、電話もしない。
1日にあったことをいつも話すので、六助くんも強制的にそこに入れられていました。

 

最初は、ほとんど喋らなかったのに。最後あたりは、食事が終わってもお茶しながらずっとお話ししていた。

 

・ご飯は全部手作り

六助くんのおうちは、惣菜が多かったようで、「人が料理しているの食べるのが新鮮」と言っていた。

今思うと、多分、ミネラル不足していたと思うんですよね。
惣菜のお野菜って、基本はミネラル皆無なので。

ハードな仕事をしていた母だったので、ご飯は基本私が担当でした。

 

・基本は無添加、無農薬、肉も出来るだけ抗生物質の使われていないようなもの

基本

 

・スナックや菓子パン、インスタントなどは一切なし(家に無い)

六助くん、甘いものがあると一気に食べるタイプだったので、あまり置かないようにしていた。
笹森家はスナック皆無の家なので、あるのはお煎餅とか、豆菓子とかばかりだったような…

 

母「結構お菓子みたいなものばかり食べていたようやからな。家には置かんようにしてん」

 

・24時前には寝る

六助くんの部屋にはストーブも、スタンドライトも置いていなかったのです。
長野の極寒の中、寝るギリギリまでリビングにいて、部屋に戻るなら寝るだけ。

 

真冬の朝は、「朝鼻が冷たくて起きた」と朝日と共に起きていた。

 

当時私もかわいそうかな〜と思って、言ったんですよね。そしたらこうでした。

 

私「六助くんの部屋にストーブとライトおいてあげないの?寒いよ(隣の私の部屋にはストーブがあるからちょっと悪い気がするため)」
母「ストーブおいたら、部屋から出なくなるやろ。あと、夜もずっと起きれるやろ。それじゃ意味意味ないねんな。人と話して、夜はちゃんとん寝るのがええねん。だからライトもおかへんねん」
「とにかく生活習慣と、人と話すことやで、香納子」
私「な、なるほど…」

 

 

・会話と対話

とにかく、話をしていた半年でした。
私じゃなくて母と。

 

いつも夜中までずっと母と話していましたね。
トイレに行ったりして起きると、リビングの光がついているの。
夜に「あつえさん(母)今日夜お話しできますか」と言っていたのを覚えている。

 

でも、母は結構介護のハードな職場だったので母にね、「遅くまで話したらしんどいでしょ。ちょっとは断ったら?」と言ったんですよね。そしたらね母が「そういても、話したいと言っているからねえ。よう断らんわ。六助くんはね、圧倒的に会話が足りてないねん、せやから話すことが大事やねん。」ていうからね、私は何も言えなくなっちゃって。「そっかあ」で納得したのを覚えている。

 

何を話したかは聞いていないし、母も詳しくは話さしませんが、家族のこと、友達のこと、今までのことをひたすら話していたみたいですね。
あと、自分の考え方についてもね。これは私も一緒に話していました。

がっちゃしゃべり場!みたいなイメージ。よく話したなあ。

 

・妹と遊んでもらう

 


プチ不登校中の妹(ちょっとでも楽しいように、この時期は一緒に作れる料理をよく作っていた優しい姉)

 

当時まだ小学二年生の妹とよく意気投合していたんですよ。彼、27歳くらいでしたけど、8歳の妹とよく遊んでいた。
妹も引っ越したばかりで、何やら友達と喧嘩したかいじめられたかで、一週間学校に行かなかった時期があったのですが、母がお、ちょうど六助くんいるからええやん。伎音子よろしく!」と面倒を見てもらうう役目を授けていました。

 

母は仕事へ。
私は学校へ。
六助突然の子守

 

妹は「この男性がどんな経緯でいるのか」とか、関係ないですから、妹が六助くんにとって緊張しなくて良い相手だったことは確かです。
私には、ちょっと年上の意地を見せることがあったから。ふふふ。

 

面白かったのは、小さい子どもという存在と遊んだことなどない彼でしたので、妹が「これ何?」など説明を求めると、大人にする説明のように話し始めるから、妹わけわからんちんで、「わかんない、お母さん教えてー」みたいに行っちゃうんです。
それが面白くてね。

 

母「子どもへの説明の下手さが世界一やな。六助くん、賢いというのは、勉強だけではないんやで。誰にでもわかるように説明するのが賢いということや」
六助「…」
私「六助くんの話は面白くないからね〜」

 

 

…話が逸れました。
では以下に考察を書いてみましょう。

 

鬱の8割は栄養失調

と呼ばれる時代が現代です。
彼は、とてもショックの大きいことを経験していたので、そのショックなことを小さくみているわけでは全くありません。

 

そのショックたるやは本当に辛かったと感じられます。

 

でもね、同時に

・体に栄養がもともと足りず、それに対応しきるエネルギーを生み出せない状態
・心の栄養を自分で生み出せる経験が圧倒的に不足していた

こともとても大きかったと思うのですよ。

 

・朝日と共に起きて、24時前に寝ることで、コルチゾールの分泌を整え

・無農薬無添加の食品によりミネラルとビタミンの多い食事をして、体の構成要素を補い、酵素反応を確保し

・スナックやインスタント食を食べないことで、植物油脂や酸化油を摂らず脳の炎症を止め

自分を評価しない存在と遊び、自律神経の緊張を解き

・食事を会話と共に楽しみ、消化能力を上げ

・会話と対話で心を言語化する

 

これがどれだけ体に影響を与えるか、わかりますか。

 

人の健康になる全てが入っていること、栄養を勉強している方はもちろん、知らない方も感じられるかと思います。

 

大切なのは、

栄養だけ
神経だけ
心理的なことだけ

ではなく、全て繋がっているから、全て大事ということです。

 

でも…

まあ、最後に付け加えるなら、母は偉大ってことかしらね…

 

私(高校生三年)と妹(小学生二年かな?)

 

ちょっといつも勝手に犬拾ってきたみたいなノリで人を連れてくるのはやめて欲しかったですけどね。

 

鬱を蔑ろにも、薬が悪いと言っているわけでも、ありません。
ここに少しの希望を感じていただけたら幸いです。

 

六助くん、元気かな。

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